朝倉市の紹介

朝倉市の伝統・文化

甘木絞り

甘木絞りは、「福岡藩民政誌略」(1887年)の中に、「甘木の木綿絞りは、博多より伝えしが、今に至っては期盛なる事博多に愈れり」とあるように、博多絞りからの伝播だったようです。
博多絞りも甘木絞りも、やはり江戸時代からの長い歴史を持っていたものらしく、初めは、「筑前絞り」として売り出されていたが、大正13年頃より「甘木絞り」の名で売り出されるようになったそうです。

秋月和紙

秋月黒田藩の奨励産業で、武家の内職として発展した秋月和紙。引きが強く、しなやかで独特の肌ざわりが特徴です。以前は数十軒あったという秋月和紙処も、現在では昭和55年頃復活させた井上さんの和紙処1軒だけとなっています。

和紙を作るのに欠かせない、清らかな水がふんだんにある秋月ならではの手漉き和紙づくり。
遠方よりこの秋月手漉き和紙を求めてやってくる人もたくさんいます。

草木染

秋月地方で、草木染による博多織帯が作り始められたのは、昭和二十七年頃からです。古処山を染める朝日の美しさ、また、筑紫野の残照に感動した住人がその美しさを織物に表現しようと、野鳥川の水と古処山に生息する草木を使って染色と手織りを始めました。
秋月地方で採れる茜、梅、藍、葛、栗、ヨモギ、ススキなどの草木を用いて、自然そのままの色合いを引き出します。その色鮮やかさはまさに芸術品です。
草木染は、薬用になる草木を多く使うので、古くから薬用効果があるといわれています。

秋月本葛

秋月本葛は、奈良の吉野葛と共に質の良いことで知られ、かつては黒田藩や幕府への献上品にもなり有名をはせました。 "かんねかずら"と呼ばれる葛の根から良質のデンプンを取り出し、純白にして作られるのが本葛です。

国内産葛100%使用、純自然食品としてこの葛を目的に秋月を訪れる人が多くいます。

スイゼンジノリ

味わうとほのかに漂う爽やかな清流の香りとゼリーのような独特の触感。学名を「スイゼンジノリ」という淡水のりで、清らかな湧水にしか生息しません。
現在では全国で唯一、朝倉市屋永の黄金川だけで育まれる、極めて貴重な自然の恵みです。

このスイゼンジノリを自然乾燥させたものはその希少性と上品な味わいから秋月黒田藩の献上品とされていました。今も200年前とほとんど変わらぬ伝統的な製法で1枚1枚丹精こめられてつくられています。

杷木五月節句幟

杷木五月節句幟は100年の歴史があり、現代に受け継がれています。古来より男の子の出世と無事を祈る端午の節句に江戸時代より、鯉幟と一緒に飾られるのが始まりで、神を招く「招きしろ」として武者幟を立てます。
当時の節句幟は、ほとんどの作業工程が手作業で新鮮な色、形を出すため錦布を寒ざらしにしたり日光に当てたりします。さらに色はげしないための熱処理などもされています。
特に赤色・青色(あさぎ色)は、晴れた日にしか彩色されません。伝統的技法を用いた、幟製作は、細部にわたり注意を払い、ていねいな作りで評価を得ています。

筑前町の伝統・文化

筑前町ど~んとかがし祭

場所:安の里公園(筑前町篠隈)

自然の恵に感謝し収穫を喜びあう祭りとして、毎年11月上旬に安の里公園と周辺の農地を中心に開催される、町一番の祭りです。
旧三輪町で開催されていた「どんと祭り」と旧夜須町で開催されていた「かがし祭」が一つになり、町の合併に合わせて、平成17年の誕生祭に始まり、毎年開催されています。

忘れてはならない食への感謝の気持ちと、食の基本である農業(食と農)をテーマに、前夜祭では火の祭典や豊穣鍋(豚汁)の販売、打ち上げ花火など、本祭では野菜の掘り取り体験や町の特産品試食、新米のすくい取りなどのイベントがあります。
また、かがし仮装大会や牧草ロール転がし競争などの参加型のイベントも実施。祭り開催時期には会場手前の約100万本のコスモスが満開を迎えます。

大己貴神社秋季大祭(おくんち)

場所:大己貴神社(筑前町弥永)

陰暦九月九日を重陽の節句として祝うもので、日本ではその日を「御九日(おくんち)」と呼び、氏神様へ収穫を感謝する祭りの日としています。大己貴神社秋季大祭は毎年10月23日に行われ、五穀豊穣や地域安全を祈願し、秋の収穫感謝祭として700~800年の歴史があると伝えられています。地元では親しみを込めて「おんがさま」と呼ばれています。
秋月藩の大名行列を模した「おくだり(神輿行列)」は神社と草場川河畔遷座場所(御旅所)を往復し、舞姫による「浦安の舞」が神社で奉納されます。

虚空蔵(こくぞう)菩薩祭り

場所:
虚空蔵菩薩(筑前町四三嶋)

筑前町の四三嶋地区に、百数十年来、区民を上げて祭祀している「虚空蔵菩薩」があります。この菩薩は秋月藩中山家(四三嶋)が同藩の興膳善人よりゆずりうけたもので、もともとは、中国の帝室から取り寄せたものと言われています。

毎年1月13日と9月13日に城山の麓で開催される「虚空蔵菩薩まつり」は家内安全、交通安全、商売繁盛で知られ、拝殿前の5円玉を借りて、願い事がかなえば次の祭りで倍にして返すというユニークな伝統があります。

大国様物産展

場所: 大己貴神社(筑前町弥永)

町特産品のPRや地域活性化を目的に町商工会が中心となって昭和63年に始まった大国様物産展。毎年2月11日に大己貴神社で開催されます。

町内の特産品・物産等の販売や、筑前クロダマルやきず(木酢)などの特産品を使用した食品のPR、ひょっとこ踊りなどが行われます。中でも、重さ60キロの神輿を5人1組で担ぎ、境内211m駆け抜けタイムを競う「大国様神輿レース」は圧倒的迫力で祭りのメインイベントとなっています。
レースの優勝チームを予想し、的中すれば抽選で豪華景品が当たる運だめしも好評です。

東峰村の伝統・文化

小石原焼・高取焼の歴史

民陶むら祭の様子
福岡県朝倉郡東峰村小石原
小石原焼伝統産業会館
TEL:0946-74-2266

最初に、東峰村に窯を構えたのは高取焼です。
1614年、福岡藩主黒田長政が朝鮮から連れ帰った陶工八山(日本名・高取八蔵)に、直方市鷹取山の麗に窯を築かせたのが高取焼の始まりとされ、その後、直方市内ヶ磯、山田市唐人谷、飯塚市白旗山へと移窯。この頃、八蔵父子は、近江の茶人・小堀遠州より指導を受け、遠州高取様式がほぼ完成したと伝えられています。八蔵は白旗山で亡くなり、二代目八蔵が1665年に東峰村小石原鼓釜床に開窯。20余年、東峰村で作陶を行いました。
その後、明治維新まで、高取家は代々福岡藩窯頭取の職務を務めています。小石原焼がこの地に誕生したのは、高取焼が東峰村に開窯した20年ほど後の天和二年(1682年)。黒田三代藩主光之が肥前伊万里の陶工を招き、中野焼を開窯したと伝えられています。窯を据えた皿山の小字名が中野だったことから、当時小石原焼は中野焼と呼ばれていました。一時期途絶えたこともありましたが、享保年間の末に再興、この頃から、磁器ではなく陶器にかわっていったようです。中野焼は高取焼と交流することにより、特色ある焼物へと昇華。現在、小石原焼の窯元は約50軒と、小規模窯業から出発した小石原焼は大きく飛躍し、今に至ります。

民陶むら祭

〈過去〉
昭和37年、第1回秋の民陶祭を開催。(窯元中心)             ↓
昭和42年、春の民陶祭も開始し、春と秋2回開催するようになった。                       ↓
昭和56年、「民陶祭」から「民陶むら祭」へ名前を変え、村全体で開催。(窯元、商工会、役場、農協など)                   
〈現在〉
春は5月3日~5日、秋は10月の体育の日を最終とする3日間で実施。全国から、掘り出し物のやきものを求めてやってくる人で、村は賑わいをみせます。
また、小石原焼伝統産業館にて、フリーカップ及び七寸皿の絵付無料体験、伝統技法の実演や、小石原焼小皿+新米おにぎりセット販売など、様々なイベントを取り行っています。(※祭り期間中、陶器が定価の2割引き)

ほたる祭り

梅雨入り前の川沿いで幻想的な光を放つホタル。今でこそ村のあちこちで見られますが、一時期、村からホタルの姿が消えた事もありました。
ホタルの復活の背景には、ボランティアたちによる粘り強い活動があり、そこで結成されたのが「宝珠山ほたるを育てる会」。河川の清掃、ホタル育成、カワニナ(餌)の放流、ホタルの生態講座など、永年の活動の成果が年を経るごとに現れ、ホタルが少しづつ復活。
「ほたるを呼び戻そう」と始まったこの取り組は、ホタルの保護育成活動にとどまらず、多方面に発展しています。例えば、小・中学校でホタルの生態講座を継続したことで、子ども達に環境保全の考えが浸透。今では、小・中学生がボランティアで国・県道の空き缶拾いやアルミ缶のリサイクル活動を行い、その収益金で老人ホームに車椅子を寄贈する結果となりました。また、昭和62年からは、復活したホタルを多くの人々に見てもらおうと「ほたる祭」を開催。毎年、6月の第1土曜日に行われ、今では夏の始まりを告げる風物詩として、郷愁を求める都会の人やふるさとを離れた人々が訪れる一大イベントとなっています。

竹地区棚田火祭り

竹地区は、比高差160メートルの急斜面、面積11ヘクタールの中に約400枚もの棚田と24戸の集落があります。この地区の棚田は、形状・連続性・保存状態などがいずれも際立っていることから、平成11年に農林水産省認定の「日本の棚田百選」の栄誉を受けました。
最近では、平成19年に「竹地区の棚田及び岩屋神社などの山岳信仰遺跡群」が「美しい日本の歴史的風土100選」にも認定されています。

現在、この棚田を保全するため竹地区住民が「竹地区棚田景観保全委員会」を組織し、棚田を利用した農業体験(田植え・稲刈り)を行うなど、体験交流を通して棚田の役割を学んでもらう活動に取り組んでいます。その中で、毎年6月、棚田に約1,000本の手作りトーチを燈します。
水を湛えた棚田にいくつもの幻想的な光の中で、宝珠山川沿いに飛び交う幾千のホタル群、山々に降り注ぐ幾万の星々、ここでしか観ることのできない絶景です。翌日には、竹地区の棚田を渡る風を感じながら「田植え&ジャガイモ収穫体験」で汗を流し、育てることの楽しさを観光客の方々に味わっていただいています。

おほし様祭り

大分県の県境にある福井神社の「おほし様まつり」は、平安時代頃から続く祭。戦後長い間おほし様を伴った神幸は途絶えていましたが、昭和60年に古老たちにより再開されました。古人の米の精霊・穀霊に対する厚い信仰心や農作への祈りと感謝が感じられる祭で、今年とれた新藁で掛鯛を作り、その中にツギコという手製の篭をつけて、神霊の鏡餅を入れた、「おほし様」と呼ばれる藁御輿を作ります。

10月の最終日曜日の祭当日は、祭元の公民館で、新穀による穀霊を中心とする杯事が行われ、おほし様(藁御輿)に穀霊を迎えます。その後、約60㎏もあるおほし様を若者が担ぎ、神幸行列(じんこうぎょうれつ)が福井神社へ向かいます。途中、おほし様を担ぐ若者達は振り返ることが許されず、休憩も3回しかとることができません。
昔ながらの儀式が受け継がれ、中世の彦山神領・彦庄(ひこのしょう)の宮座儀礼、御輿の古型をよく保っていると評価されたこの祭は、昭和59年、筑前朝倉の宮座行事として国の無形民族文化財記録保存の選択を受けています。そして、平成7年に県の無形民族文化財にも指定されました。

秋まつり

東峰村の秋まつりは、毎年11月の第1日曜日に開催している収穫の秋に感謝する収穫祭です。
好評の東峰村特産の黒毛和牛1頭分の格安販売や、農産物の直売、郷土芸能のステージイベントなど、魅力満載。まさに、美味しくて、楽しい村まつりです。

東峰村民限定で出店されるテントでは、東峰村の特産品がたくさんあります。棚田米の新米や野菜、シイタケ、梨などの農林産物はもちろん、おいしい村の味もたくさんあります。中でも、東峰村レクリエーション協会出店の「鶏のハーブ焼」と「ビッグ豚バラ」は、素材にこだわるおススメの一品です。その他にも、東峰村の郷土芸能や祭りを盛り上げる「くじ付餅まき」など、見逃せないイベント盛りだくさんです。

岩屋まつり

547年(欽明天皇8年)、岩屋に突然の霊光があり、頂上で輝いていたものを社僧が発見、宝珠石と名付けご神体として神殿を造り安置しました。
宝珠とは、仏教用語で仏の教えの象徴であり、何でも願いが叶う不思議な宝石という意味です。宝珠石は星の玉とも呼ばれ、伝説の通りならば日本最古の隕石である可能性もあります。現在宝珠石は、本殿中央部にあります。薦で幾重にも厚く覆われ、中を見ると目がつぶれるとされ、宝珠石そのものを見た人はいません。

この岩屋神社において、4月上旬、「岩屋まつり」が行われます。地域を挙げての祭で、村人たちの心意気と伝統を受け継ぎ、村人が威勢よく駆け巡る暴れ神輿や護摩供養などの他、天狗のゲタ飛ばし、もちまき等、様々なイベントが催されます。

めがね橋ライトアップ

東峰村の宝珠山には、日本近代土木遺産に指定されている4つのめがね橋(無筋コンクリート充復アーチ橋)があります。今でこそ、村民に馴染み深いめがね橋ですが、この橋が架けられた昭和21年~昭和31年当時、山谷の多いこの土地に鉄道を通すのは非常に困難を極めたと推測できます。
今でも筑前岩屋駅~大行司駅間に橋が3つ、加えて短いトンネルが7つありますが、これらはすべて、開通当時に作られたもの。困難をおしてこの地域に鉄道を通したのは、それだけ宝珠山炭坑の石炭が豊富で良質だったことが伺い知れます。鉄道の開通により物資や人の流れが盛んになり、最盛時には、旧宝珠山村だけでも6238人もの人口がいたと、当時の記録には残っています。

そんなめがね橋において、毎年、12月上旬~1月3日まで、ライトアップを実施しています。4つのめがね橋の内、栗木野橋梁、宝珠山橋梁においてライトを照らすことにより、めがね橋周辺は、わずかな民家の明かりと星明かり以外ほとんどないため、列車が通ると、宙に浮いているみたいに見えて、とても幻想的な光景が一面に広がります。